しまんちゅの日記

~映像翻訳と映画と沖縄~

赤い実からできるもの

コーヒーのお話。

 品質も値段も高いスペシャリティーコーヒーが

どのような過程で私たちの下に届けられるか、

そしてコーヒー業界の人たちのパッションを知ることができる。

www.afilmaboutcoffee.jp

 

毎朝、コーヒーを飲んでいる。

20代の頃はマキネッタでコーヒーを淹れ、温かいミルクに注いで飲んでいた。

30代になってからは、ペーパードリップで淹れている。

一時期、コーヒーに凝ってみようかといろいろ試したこともあった。

だから、この映画で語られることはどれも興味深い。

 「浅煎りは品質のごまかしがきかない」という共通認識もあれば、

 「ドリップとエスプレッソは同じもの、違いは圧力を加えるかどうか」という意見に対して、

「いや、全然違う。」というスペシャリスト同士の見解の違いなどもあり、どの世界も道を究めようとする人たちは一緒だと思った。

 

全米 バリスタ・チャンピオンが言っていた。

 「収穫された豆の品質がすべてだ

 後から関わる者が品質を上げることはない

 落とすのは可能だ

 ゴールは 品質の低下を最低限に抑え――

 収穫時に閉じ込められた風味を引き出すことです」

 

 これって、字幕翻訳にも通じるなぁ。

 

コーヒーの思い出はたくさんある。

とても寒い夜に飲んだTESCOのコーヒーは

とても熱いけど、味がしなかった。

 

悲しいことがあって映画館に避難した時

チケットを売っていた黒人女性が泣いている私に気がついて

コーヒーを買ってくれた。

その時見た映画が「ショコラ」で、

コーヒーを飲みながらココアが飲みたいと思った。

 

一人旅の途中、ベトナムのホテルで飲んだコーヒーがめちゃくちゃ美味しかった。

 

記憶に残るコーヒーの思い出は

何故か異国で、一人でいるときだ。

日本で有名店に行ったこともあるけど、味の記憶がない。

 私の場合、感情と共に味を覚えてしまうらしい。

 映画内で今はもうない大坊珈琲店の大坊さんの所作に見惚れてしまった。

もし大坊さんの所作と共に飲むコーヒーなら、

きっと良いコーヒーの思い出になるんだろうなと思った。

 

 

ワインとひきかえに

12月の初めからお酒を飲んでいない。

先日受けたトライアルの出来が悪すぎて、飲みたくなくなった。

いつもの私だったら、やけ酒をくらうところだけど

今回は自分でも思っている以上に心が折れてしまったようだった。

 

ほぼ毎日ワインを飲んでいた私には珍しい状況。

それが面白くて、お酒を飲まなかった日には300円を貯金箱に入れることにした。

ジャッジャッとお金を落としていくのが楽しい。

でも電子マネーやカードでの支払いが主なので小銭がいつもあるとは限らない。

1000円を入れて、小銭を回収すること数回。

貯金箱に日に日に増えていくお金を覗きこみながら

お酒が欠かせない人生と思っていたけど、、付き合い方を考えるかな。と

ふと思った。

 

そして12月15日にカレンダーを眺めていて

「この貯金箱には300円X15日で4500円入ってるんだなぁ」と思い

Amazonの欲しいものリストを開いた。

で、ポチったのがこれ。

 

www.amazon.co.jp

 

今日届いた。面白い。

正直、これをパラパラめくりながらワインを飲みたい。

 

なんだ。どうやら心が立ち直ってきたみたいだ。(でも禁酒は続く。。)

なくなったものを思い出す

10年以上前、三軒茶屋にある古い映画館によく通っていた。

劇場公開中の最新映画ではなく、毎週、館長の趣味で選ばれた映画が2本立てで上映されていた。

今でいうレトロな雰囲気で、客の入りも少なくあまり若い人は見かけなかった。

とにかく映画が見たい私は、家から1番近く安い値段で2本見ることができ、自分の知らない映画を知る事ができるこの場所は天国だった。

楽しいときも、悲しいときも、寂しいときもここで映画を見ていた。

近くのサミットでお酒を買って、それを飲みながら映画を2本見て(なんだったら1本目をもう1度見て)、映画館の外に出るともう夜になっていて、「とんがらし」というおばちゃんが1人でやっているカレー屋さんで夕ご飯を食べて帰る。

そうやって1人の時間を過ごすのが好きだった。

 

その映画館でキム・ギドク監督を知った。「サマリア」と「弓」の2本立てだった。

韓国、と言えば「冬のソナタ」を何話か見て、韓国人ってなんて感情の起伏が激しい人たちなんだ。。という印象しか残らなかった。

その韓国人監督が作った映画かぁ、というくらいの軽い気持ちで観た。

サマリア」は最初は女の子たちが可愛い、という軽い感じで見ていたのだが

ゴロゴロ転がっていく展開と、それによって雪だるまのように大きくなっていく感情とに血と涙が混じっていって。。

それを食べた私は、なんだか胃が重く冷たくなった。

次の「弓」は、不思議な世界で、不思議な人間関係の中で、普遍的な人間の欲みたいなのを見せられた気がした。

園子温監督となにか通じるものがあるなぁ、と感じた。

 

ファーストタッチがとても印象深かったので、それからもキム・ギドク監督の作品は見続けた。いつでも腹にドンとのしかかるような気分を与えられる作品を撮って、ある意味期待を裏切らない安心感があった。

 

 

三軒茶屋のあの映画館がなくなり、そしてキム・ギドク監督がコロナに感染して亡くなった。

寂しいなぁ。

 

 

 

 

ページを折ってこころまち

3年手帳を買った。

10年以上、ほぼ日手帳を使っていたけれど

これからの3年が「3年殺し」の期間になるかもしれない。

この時間をまとめたいなぁと思った。

分厚くて重くて持ち歩くにはちょっと不便だけど

直感で手にとったものを、衝動で購入。

まだ来年まで時間があるのに

メモ欄にいろいろ書いた。

手帳を買うと、次の年が待ち遠しくなる。

120の思いで

今年の始めに決めた目標のひとつに

「今年は映画を120本見る」というのがあった。

12月6日現在、110本まで見ることができている。

コロナ渦ということもあって

去年まで少なくとも週1回は参加していた飲み会

年に5回は行っていた美術館や博物館巡り

年に3回は行っていた演劇鑑賞

年に2回は行っていたフェスやライブ

年に1回の紅葉を見に行く旅行などを全部やらなかった。

でも、少なくとも年に120本の映画を楽しんだ年になりそうだ。

新しく始めた勉強も今年中に試験に受かる事ができていれば良かったのだけど

それは来年に持ち越しになりそうだ。

生きていると楽しいことだけじゃないけど

今できることで楽しめるだけでも幸せだと思う。

 

かきなぐりをなぐりたい

 

仕事で使う100ページくらいのノートを取り出して

彼は「こんなに分厚いの使い終わっちゃった。」と言った。

ノートの中身を見ることはないけど、見なくてもわかる。

彼の性格上、きっと彼自身でしか読めないくらいの書きなぐりの字で

ページが埋め尽くされているだろう。

私のノートも、私にしかわからない字で書きなぐられている。

ノートは情報を留めるためのもので、

誰に見せるでもないことをきれいに書く必要はないと思うからだ。

 

パソコンやスマホに支えられている生活の中で、

字を書くことがなくなったと思っていた。

あっても、書類に氏名年齢を書く時くらいだと思っていた。

でも、実際ノートには確かに毎日何かしらを書いているし、

それを見ていると毎日、何かしらを考えて生きているなぁと思う。

自分にしか読めない字

自分の中にしかない考えがある。

誰かに何かを伝えるために、

自分の中のごちゃごちゃしたものを形にしようとは思わなかった。

 

最近、生活の中でその必要性が出てきた。

言葉を伝えるためのスキルが私は弱い。

でも、書きなぐりを少しだけでも読みやすく。そういう気持ちで日々を生きたい。

タイトルに特に意味はない。

 

変えることのできるものについて、 それを変えるだけの勇気を

 

『女を修理する男』

コンゴ民主共和国で性的被害にあった女性達を治療するデニ・ムクウェゲ医師は、2012年に脅迫を受け一時は海外へ。しかし翌年には命の危険を冒して再びコンゴに戻る。そして命がけの治療を再開する───

 

「この子はこれからセックスもできない」

「この子は女にはなれないだろう」

 

手術室で発せられるムクウェゲ医師は怒りに満ちている。

膣と尿道が一つの穴になるような暴力。

1歳にも満たない赤ちゃんが性的暴行をされる。

そして、その暴行犯が野放しにされている世界。

被害者が話す世界は、秩序に守られている(法的に)日本から見たら狂っている。

 

性的暴行の目的は、理性が狂った性欲求だけが原因ではない。

コンゴスマホに使われるレアメタルなどの豊かな天然資源を持つ国であるが、

他国の企業や軍隊に搾取され国民に還元されていない貧しい国でもある。

そして性暴力が地域を支配するための武器として横行している。

これは地域だけの問題ではないと、ムクウェゲ医師は世界に訴える。

 

ムクウェゲ医師は傷つけられた身体を治療するだけでなく、

女たちを再び立ち上がらせる支援もしている。

「名誉と勉強の機会と純潔を失った。」という女の子たちに

「君たちは何も失っていない。」と伝え続ける。

 彼の言葉を聞いていると、この映画の邦題を考えさせられる。

『女を修理する男』

この邦題を見たとき、チカっと何か引っかかるものがあった。

修理、という言葉だ。

でも、この映画を見た後には「修理」という言葉を何かに言い換えようと考えてみても

自分の頭では当てはまる言葉が見つからない。

それくらい、この映画全体にいろんな思いが蠢いている。

 

1年前の今日、2019年12月4日、

アフガニスタン武装勢力に襲われ命を落とした中村哲医師のことを思い出した。

中村医師は医療活動をしているうちに、病気の根本的な問題は食料不足と栄養失調にあると考えて「100の診療所より、1本の用水路を」と、2003年からアフガン東部で用水路を作り始めた方だ。

医師が用水路を作るなんて専門外だと思われるが、問題の本質を考えて熱心に活動してこられた。

ムクウェゲ医師と重なった。

紛争地で命をかけて、その土地に必要なことをする。

 問題解決のために、やるべきことを見極めて行動する。

 他人のために動こうと決めた人間の力を二人の医師は見せてくれる。

その心はとても尊い

 

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