積み重ねる
落語家の桂宮治さんが、真打ちに昇進された。めでたい。
このニュースを知り、
コロナで遠ざかっていた落語を見に行きたいという気持ちがムクムクと。。。
でも我慢する。
私の落語デビューは宮治さんの独演会だった。
マクラだけで爆笑してしまう、なんだか親近感がわく落語家さん。
演目も最後まで面白くて、飽きずに楽しめた。
初めての落語が宮治さんだったから、
その後も落語を見に行くようになったのだと思う。
寄席に行くと、前座、二つ目、真打ちと階級の違う落語家さんを見る事ができて
「芸のレベルの違い」というモノを感じることができる。
前座の噺は「演目を最後までちゃんと話せましたね」という気持ちになる。
二つ目は「クスっと笑ってしまう話が聞けた」と退屈しない。
真打ちになると。。。なんだかレベルが違うのだ。
話に引き込まれるのはもちろんのこと、
落語家を見ているはずなのに、
江戸の情景や、登場人物の生活が透けて見えてくるような気分になる。
五感が、頭の中で再生される。
毎回、噺を聞いたというより、
「これが芸か!」と積み重ねた芸の厚さに圧倒される自分がいる。
落語が面白いと思うのは、
演目つまり噺が落語家さんによって、全く違った印象を受ける。
同じ内容を話しているはずなのにドキドキしたり、しんみりしたり。
こじつけかもしれないが、字幕翻訳も落語の芸と同じだと思う。
現在の私の字幕翻訳は前座だ。
「最後まで素材をちゃんと訳せましたね」というだけ。
見ている人はきっと映像に没入できない。私の選んだ言葉が邪魔をしている。
積み重ねていくしかない。