しまんちゅの日記

~映像翻訳と映画と沖縄~

キリングフィールド

最近、自分が「引き戻されてるなぁ」と思うことが多い。

過去に感じたことに、引き戻される感覚がある。

 

子供の頃、映画好きな父と一緒にカンボジア内戦を取材したジャーナリストたちの実話を映画化した「キリングフィールド」を見た。

子供だから、赤いマフラーの人たちが何なのか

カンボジアの情勢などもわからない

ジャーナリストが何をしたいのかもわからない

同じ目的で行動しているはずのシドニーとプランがなぜ違う運命を辿るのかもわかっていなかった。

ただ、なんだか心に残っていた。

 

大学生になって、大虐殺についての授業をとり

クメール・ルージュについて、カンボジアについて学んだ。

子供の頃にわかっていなかったことを理解した。

そして、映画の中で描かれていないことが気になった。

 

父がカンボジアに行ってみたいと言っていたことを

なぜか私はずっと覚えていた。

20代の頃、有給を使って1人でカンボジアに行ってみた。

心配するだろうと思い、両親には伝えず

当時、一緒に住んでいたルームメートに

一人旅の日程と何かあった時のための連絡先を伝えて行った。

 

美しいアンコールワットの遺跡にたくさんの銃弾の跡があった。

「地雷が撤去された印のある場所以外は勝手に歩き回らないで」と

若いカンボジア人のガイドに止められた。

内戦の跡はいろんなところに残っていた。

キリングフィールドが見たかったわけじゃない。

内戦の跡と再生していく姿を見たかった。

たくさん、写真を撮った。

写真を撮り続ける私にガイドが言った。

「あなたは全然自分の写真を撮ってないね。撮ってあげるよ」

その言葉が一瞬、意味が分からず

ぽかんとしながらも、一枚撮ってもらった。

そうか。

観光客って、自分がここに来た記録を残すものなんだ。と。

 

ずっと缶ビールとペットボトルの水だけで過ごしてきたのに

滞在が長くなると気が緩んで、レストランでレモンジュースを飲んだ。

その夜、食中毒になった。

日本から持ってきた薬は全く効かず、一晩中、上からも下からも全てが出た。

ひとりで、ホテルのトイレに頭を突っ込みながら

このままカンボジアで死んでしまうのかなと思った。

次の日はカンボジア滞在最終日。

朝、ガイドが迎えにきたので

頭が回る気持ち悪い状態でも遺跡をまわった。

遺跡の前で、どこかの国の一人旅の男性に「写真を撮ってくれ」と言われて

焦点が合わない状態でフラフラになりながらも彼にカメラを向けて

「OK, on three」とか言いながら写真を撮ってあげた自分は心底日本人だと思う。

 

帰国して数日は寝たきりになったけど

上からも下からも何もかも出し、空っぽになった私はかなりスッキリしていた。

そして「キリングフィールド」を見てから

15年以上も持ち続けていたカンボジアへの知りたい欲求も

スッキリなくなり満足した。

 

先週1984年制作の「キリングフィールド」が放送されていた。

録画したものを見てみた。

今だから感じるものがある。

なんだか、歴史的背景が足りないのではないか?

 最後のimagineはどうなのか?

 ムクムクと湧きあがるものがあった。

その日、図書館で予約していて受け取ったのが、本田勝一さんの本だった。

引き戻される。

Netflixカンボジアでの大虐殺を描いた「最初に父が殺された」という映画を見つけた。

この映画の原作である「First They Killed My Father」は

大学の授業で読まされた課題本だった。

映画が製作されたのを知らなかった。見てみよう。

 

今年に入ってのミャンマーの情勢を見ていると

カンボジアを思い出す。

 

なんだかいろんな思いが頭をめぐっていて、全くまとまらない。

 

彼に早くサンドウィッチを食べなさいと怒られた。