しまんちゅの日記

~映像翻訳と映画と沖縄~

Authenticは染み込まない

苦手な言葉がある。「authentic」という言葉だ。

意味は分かっている。

 

リーダーズ英和辞典によると

信ずべき、確実な、典拠のある、頼りになる;真正の、本物の;(複製が)現物に忠実な;《法》認証された;《楽》正格の…

Oxford Learner's Dictionariesによると

  

1.known to be real and what somebody claims it is and not a copy 

2.true and accurate

3.made to be exactly the same as the original

 

しかし、意味がわかっても、なぜかこの言葉だけは私の中に染み込んでいない。

言葉にはそれぞれ形や色やイメージやニュアンスがあると思う。

その言葉を聞いただけでじわっと浮かびあがる「印象」みたいなものだろうか。

authenticは私の脳の湖に一滴だけ落とされた油のように、長い間、混ざることなく分離したままだ。

 

初めてこの言葉に出会ったのは、大学のArtのクラスだった。

「テーマ」と「表現方法」が書かれた2つのカードの束から1枚ずつひき、

それに沿った作品を作るという課題が出た。

私が引いたのは「authentic」と「Cubism」。

authenticをキュビズムで表現しなくてはいけなかった。

 初めて出会ったauthenticという言葉に戸惑い、辞書をひいたり、人に聞いたりした。

 大抵の言葉はそれで解決する。なるほどね、とポトンと湖に落ちる。

けれど、authenticはそうはいかなかった。

言葉が染み込まないまま、その戸惑いを作品で木材と針金を使って表現した。

Critiqueの時に

「私はauthenticの意味がわかっているけど、本当の意味では理解していない。

authenticって何?」と正直に説明した私に、

教授やクラスメートたちは

「たしかにrealだとかtrueだとか、本当にあるのか?」と勝手になにか哲学的な話に転がり、なぜかその作品は高評価をいただいた。(Artってそういうところがあるよね)

課題の意図として私の向き合い方は合っていたのかもしれないが

予想していなかった結果に、私のauthenticはさらに謎が深まっていった。

 

それからずっと。

映画やドラマを見ていても、authenticが聞こえてくると

「今、authenticって言った?」と繰り返し見て

その時の状況や字幕からauthenticを理解しようとしたり

authenticと言葉を使った会社とか広告を見かけたら「どこらへんがauthentic?」と調べたりした。

本や雑誌やウェブ記事でも見かけたら、しばらく止まってしまう。

 

「使い慣れていないから、そうなるんじゃないの?」と友人に言われたが

断じてそんなことはない。

例えば、 enthusiastic(熱心な、熱狂的な)の方が発音もスペリングもままならない。

一度も使ったことはない。けれど、十分に染み込んでいる。

 

なぜこんなことを書いているかというと、NHKで年末に放送されたこの番組だ。

岸辺露伴は動かない

www.nhk.or.jp

 

原作漫画は未読だけれど、3話ともとても楽しめた。

特に森山未来が演じた漫画家、志士十五が「くしゃがら」と言う調べても調べても意味が判明しない言葉に取り憑かれていく回がとても面白かった。

私は志士十五の取り憑かれ方ほど狂ってはいないし、言葉の意味も分かっているだのだけど、「頭に染み込んでいかない」という点で似たようなものじゃないかと思う。

原作者がこれを描いたということは

言葉に執着している状態は私だけではなく、ままあることなのだと安心した。

私のauthenticも袋とじのように頭の中にあるけど

袋とじだから頭に染み込んでいっていないのかもしれない。

 

一体、この記事だけで何回「authentic」と打ったのだろう。。。染み込まない。