しまんちゅの日記

~映像翻訳と映画と沖縄~

笑いってやつは

職場のチームにいる中国人の女性は

日本に来てもう20年以上になり、日本語がペラペラだ。

中国人のクライアント相手に通訳をすることもある。

そんな彼女でも、たまにわからない日本語がある。

彼女はとても向上心が高く、

わからない言葉があるとそのままにしておけず、必ず私に聞いてくる。

そのたびに私は説明してあげている。

 

コロナ禍以前、上司が異動になり送別会があった。

幹事の特権を利用し、私の独断で送別会の会場に沖縄料理屋を選んだ。

その珍しさからかチームみんながよく食べ、お酒がすすみ、とても盛り上がった。

 

上司がジョークを言って、みんなが大爆笑した。

その時、「今のは、何がおもしろいの?」と中国人の彼女が言った。

 

ジョークを説明するのは初めてだった。

「今のは○○さんが、~って言ったでしょ。それはね、、、」と説明しようとすると

○○さんが大声で恥ずかしそうに静止した。

「やめて!ジョークを説明されることほど、恥ずかしいことはない!」

その場にいた関西人が全員、

「説明した時点でそれはジョークじゃなくなって、笑えなくなる」

と説明するのを止められた。

 

ジョークは説明した時点でジョークではなくなる。

翻訳の途中で「笑い」の部分にぶち当たると、いつもこの事を思い出す。

説明ではない言葉で、どうやったら「笑い」を伝えることができるのか。

 

そんなことを考えながら、お笑い番組をたまに見る。

笑えない。どうしよう。

テレビでよく見かける芸人さんたち。

世の中の人はこれを面白いと思っているという事だ。

何が面白いのだろう?と考えてしまう時点で

私はだめなのかもしれない。

 

 

思い出す、遊び

翻訳作業をしていると、懐かしい気分になる。

 

小学2年生くらいの頃

沖縄に住むアメリカ兵とのゴタゴタに巻き込まれた事がある。

それは私の中にトラウマになり

アメリカを怖がるようになってしまった。

 

それを知った父が叔父に話したのだろう。

米軍基地内で働いていた叔父が

基地内で買ったピザやローストチキンなどを持って

我が家に週一で通うようになった。

宅配ピザの2倍はありそうな大きなピザを食べながら、

叔父はアメリカやアメリカ人の話をしてくれた。

良いことも、悪いことも、楽しいことも、怖いことも。

 

叔父はしばらくすると、これも基地内で買った絵本を持ってきた。

「これを使って、この絵本を読んでみろ」と言って

叔父の使い古してボロボロになった英日・日英辞書を渡された。

 

今考えてみると

まだアルファベットもわからない

英文法の概念さえも知らない子供に

英語の絵本を読め!という叔父の発想は面白い。

叔父は辞書の引き方から教えてくれ

私に単語をひとつひとつ調べさせ、文章を「予測」させた。

絵本だから、ページは少なかった。

難しい単語も表現もなかったのだと思う。

 

そして絵柄と予測した文章を並べて全体を読むと、

どんなストーリーになったか?というプレゼンをさせた。

ぐちゃぐちゃなストーリーだ。

でも、楽しかった。

叔父は正しいストーリーを話して

私の文章の「予測」の何が違ったのか?

つじつまが合わないところを説明をしてくれた。

この一連の「遊び」が翻訳作業に似ていて

叔父との思い出が、私の翻訳の原点だなぁと思う。

 

叔父の遊びは私がアメリカを怖がらなくなるまで続いた。

「漫画だったら読みたくなるだろう」とSNOOPYをもらったのが最後だ。

私のSNOOPY好きもここから始まったんだなぁ。

 

 

キリングフィールド

最近、自分が「引き戻されてるなぁ」と思うことが多い。

過去に感じたことに、引き戻される感覚がある。

 

子供の頃、映画好きな父と一緒にカンボジア内戦を取材したジャーナリストたちの実話を映画化した「キリングフィールド」を見た。

子供だから、赤いマフラーの人たちが何なのか

カンボジアの情勢などもわからない

ジャーナリストが何をしたいのかもわからない

同じ目的で行動しているはずのシドニーとプランがなぜ違う運命を辿るのかもわかっていなかった。

ただ、なんだか心に残っていた。

 

大学生になって、大虐殺についての授業をとり

クメール・ルージュについて、カンボジアについて学んだ。

子供の頃にわかっていなかったことを理解した。

そして、映画の中で描かれていないことが気になった。

 

父がカンボジアに行ってみたいと言っていたことを

なぜか私はずっと覚えていた。

20代の頃、有給を使って1人でカンボジアに行ってみた。

心配するだろうと思い、両親には伝えず

当時、一緒に住んでいたルームメートに

一人旅の日程と何かあった時のための連絡先を伝えて行った。

 

美しいアンコールワットの遺跡にたくさんの銃弾の跡があった。

「地雷が撤去された印のある場所以外は勝手に歩き回らないで」と

若いカンボジア人のガイドに止められた。

内戦の跡はいろんなところに残っていた。

キリングフィールドが見たかったわけじゃない。

内戦の跡と再生していく姿を見たかった。

たくさん、写真を撮った。

写真を撮り続ける私にガイドが言った。

「あなたは全然自分の写真を撮ってないね。撮ってあげるよ」

その言葉が一瞬、意味が分からず

ぽかんとしながらも、一枚撮ってもらった。

そうか。

観光客って、自分がここに来た記録を残すものなんだ。と。

 

ずっと缶ビールとペットボトルの水だけで過ごしてきたのに

滞在が長くなると気が緩んで、レストランでレモンジュースを飲んだ。

その夜、食中毒になった。

日本から持ってきた薬は全く効かず、一晩中、上からも下からも全てが出た。

ひとりで、ホテルのトイレに頭を突っ込みながら

このままカンボジアで死んでしまうのかなと思った。

次の日はカンボジア滞在最終日。

朝、ガイドが迎えにきたので

頭が回る気持ち悪い状態でも遺跡をまわった。

遺跡の前で、どこかの国の一人旅の男性に「写真を撮ってくれ」と言われて

焦点が合わない状態でフラフラになりながらも彼にカメラを向けて

「OK, on three」とか言いながら写真を撮ってあげた自分は心底日本人だと思う。

 

帰国して数日は寝たきりになったけど

上からも下からも何もかも出し、空っぽになった私はかなりスッキリしていた。

そして「キリングフィールド」を見てから

15年以上も持ち続けていたカンボジアへの知りたい欲求も

スッキリなくなり満足した。

 

先週1984年制作の「キリングフィールド」が放送されていた。

録画したものを見てみた。

今だから感じるものがある。

なんだか、歴史的背景が足りないのではないか?

 最後のimagineはどうなのか?

 ムクムクと湧きあがるものがあった。

その日、図書館で予約していて受け取ったのが、本田勝一さんの本だった。

引き戻される。

Netflixカンボジアでの大虐殺を描いた「最初に父が殺された」という映画を見つけた。

この映画の原作である「First They Killed My Father」は

大学の授業で読まされた課題本だった。

映画が製作されたのを知らなかった。見てみよう。

 

今年に入ってのミャンマーの情勢を見ていると

カンボジアを思い出す。

 

なんだかいろんな思いが頭をめぐっていて、全くまとまらない。

 

彼に早くサンドウィッチを食べなさいと怒られた。

来月が怖い

2月も終わる。

今月の目標のDry Februaryも無事に達成することができた。

いろいろ状況が変わった月だった。

 

3月は何が起こるだろう?

先週、SSTを買った。

私はスポッティングが遅い。

慣れるために3月の目標は「毎日スポッティング」

…そして失敗した

人は自分が失敗をしたことに気づくと、立ち止まる。

今日の私がそう。

道の真ん中で立ち止まった。

そしてがっかりして、一気に脱力した。

 

昨日、ブログで書いた「失敗してやる」が言霊だったのか?

私のうっかりさんが顔を出して、失敗してしまった。

へこんでも仕方がない。

まだ取返しがつく失敗でよかった。

また明日リトライしよう。

 

失敗の帰り道、近所の神社でお参りして帰った。

私は戦いに出て失敗してやる

無意識に何かの答えを求めている時、図書館に行く。

本屋さんに行くのが王道かもしれないけれど

新品の本は色が華やかで何か落ち着かない。

図書館の本は、少しくすんでいて目に優しく

ゆっくりと背表紙を眺めることができる。

 

必ず、何か見つかる。

一冊見つかると、数珠つなぎにいろんな本を手に取っていくことになる。

なんだか心が開くのだ。

そして、その時に必要な言葉を拾える。

 

今日、何かを探していたわけではなかったのに

私を助けてくれる言葉を拾った。

本の中ではなく、Netflixの中だった。

 

映画「ブレネー・ブラウン:勇気を出して」

 

ブレネー・ブラウンはスタンダップコメディアンではない。

彼女は「恥」の研究者だ。

そして、とんでもないストーリーテラー。最高におもしろい。

 

開始5分で、前準備が必要なことがわかる。

先にTEDでの講演を見なくてはいけない。

この2つのTED TALKも面白かった。何度でも繰り返し見たいTALK

 

www.ted.com

 

 

www.ted.com

 

改めて映画に戻る。

人間の感情の研究者だからか、彼女の話には共感しかない。

テディ・ルーズベルトのくだりはとてもわかる。

突然、神が下りてくることがある。

 

私が拾ったのはこの言葉だ。

“失敗を恐れない”ではなく
“必ず失敗する”

“勇敢に生きたら失敗する”

 

最近起きたことで、どうしても自分に自信が持てなかった。

信頼している人に相談して、力強い言葉をもらった。

それでも、私は失敗することを恐れていた。

 

ブレネーは言う。

「勇敢に生きたら必ず失敗する。

でも、称賛に値するのは戦いに出る者。」

 

私は前提が間違っていた。

なんだ。勝負に出たら、”必ず”失敗するのか。

それなら怖がる理由がないのかもしれない。

できることを、やるだけだ。

絶対、失敗するし。

 

彼女の書籍がベストセラーになるのもうなずける。

次々と出てくる彼女の言葉は

ノートに書き写したいくらい私の心に刺さる。

 

「女性は自分の体形を恥じて、男性は自分の弱さを恥じる」

 

「人は最も愛している相手を一番激しく攻撃する。

なぜなら、相手の弱さを見るのが怖いから。

無防備になるのが怖いから傷つけあう」

 

「失敗する気がないなら革新できない

無防備になる覚悟がなければ創造できない」

 

最後に話された彼女の娘の葛藤の話は

まるで自分を見ているようで泣けてくる。

邦題にもなっている「勇気を出して」の意味がわかる。

 

生きるって、誰かと闘っているのではなく

自分との闘いの繰り返しなのだな。

vulnerability

自分の弱さを受けいれていこう。

1000歩

「1000足作ったら、自分が作りたい靴が作れるようになる」

 

靴職人がそう話してくれた。

その人が教えてくれる靴工房に週に1度通った。

私が作った靴は3年で25足だった。

 出来上がった靴は、靴の形をしているし履ける。

しかし趣味で作っていたとはいえ、その出来はどこかいびつだった。

 

職人の世界って大変…

 

字幕翻訳の世界はどうなんだろう?

一体、何作品を手がければ一人前になれるんだろう?

これから字幕翻訳の職人を目指す者として気になった。

私の知っている中で一番キャリアが長い戸田奈津子さんの場合、どうだろう?

 

この記事によると、戸田さんは40年間で1500本の作品を手掛けているそうだ。

www.buzzfeed.com

 

私が好きな松浦美奈さんは、どうだろうか?

Movie Walkerで調べてみると、関連する映画作品は478件と出てきたけど、

実際にはもっと多いのだと思う。

質も上げていかなくては、それだけの数を依頼されることもないだろう。

 

求められる翻訳者になるには、、と日々考えながら過ごしてはいるものの

目標と現実がまだ離れている。

不摂生な私は、寿命を延ばすことも同時にしなくては追いつけなさそうだ。